第一章 人類史上最悪の一日は最悪だった
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嫌なことがあった時、別の嫌なことを思い出してしまうことはないだろう
か?人によってはそんなことはないという人もいるだろう。だが、少なくとも
石原に関してはそうだった。すっかり暗くなってしまった外を見ながら電車
に乗り込むときに、彼は今日あったこととまったく別の嫌なことを思い出して
しまっていたのだった。
数年前…あの場所で起きたこと。
自分はあそこにはいなかった。公文書にもそう記載されていることだし、
それは本当かどうかはともかく「事実」として扱われている。
しかし…あの時本当に自分がやったことが正しかったのか、石原は未だに答え
を出せずにいた。もしそれがノーだとしたら、どのようにして罪を償えばいい
のか。
ひとつだけいえることは、「やっていない」罪は償えないのだ。
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NASAの広報関連スタッフは記者の質問攻めにあっていた。
スタッフの一人、ジョージ・ハミルトンは正直ここまで嫌な気分になった
のは久しぶりではないか、と内心感じているのを隠すのに苦労していた。
無理もない。発表があってから、これまで絶対質問なんかしなかったで
あろう連中すら必死こいて質問してるのだから。広報室に集まった記者連中は
普段宇宙とか正直興味ないだろう、というような奴すら必死に手を挙げ、
メモを取り、大量のフラッシュをハミルトンたちに浴びせかける。
グレムリンなら死んでるぞ、とちょっとだけ思って気が楽になる。
奴ら一生懸命カメラで撮影しているけど、俺が内心でこんなことを思ってる
などとは永久に気がつくまい。もちろん数年先に、本当に永久に気がつかな
くなる可能性もかなりあるのが痛いところではある。
そんなことをつらつらと思っているとまた似たような質問が繰り返される。
何度目だといいたくなるのをぐっとこらえる。
「NBCのミヒャエル・アイゼンハウワーです。質問なんですが、隕石の
サイズと衝突規模が世界規模に及ぶというのは間違いないのでしょうか」
記者の一人がそのような質問を行う。
マイクを持ったジョージは、記者の方を一瞥すると、あとは一番奥のカメラ
の方をみるようにして、おもむろに答えだす。あーまたかよと思いながら。
「その質問に対する答えですが、『間違いない』かといわれると正直なところ
間違っている可能性は否定できません。ですが、隕石のサイズについては
間違いなく直径2キロ前後の規模であることが判明しています。問題の軌道
につきましては、現在のところ隕石の軌道を確認しているところです」
ここでジョージはいったん黙ってしまった。
大量にたかれるフラッシュ。俺ハリウッドセレブみてぇだなどとも思う。
「現在ハッブルから得られた隕石の映像、およびこれまでの情報を総合します
と、現時点での隕石の地球への衝突確率は25%であり」
…どよめきとフラッシュの音が激しくなる。
「つまり75%の確率ではずれることになります」
一瞬、失笑が走る。
「…ですが、3年後、12月21日前後に、隕石は地球に最大に近づき、その
距離は0.00017AUと非常に近い値であり、隕石が地球の引力圏に引き込まれる
可能性は否定できません」
どよめきと「どのくらいだよそれ」という声が交差する。
「あー、失礼いたしました」
ジョージは仰々しくいう。ちょっとだけそれくらい分かれよと思うが、
むしろここにいる記者全員がそれがどれだけかわかるほうがある意味怖い。
「つまり…それはどのくらいの距離でしょうか?」
「…およそ2万8000km、地球と月の距離の1/10ほどです。静止軌道衛星近く
を通る計算ですが、地球の引力圏に捉えられ軌道が変わる場合、地球に
引き込まれるように落下することとなります」
「その確率が…?」
「そう、先ほどの25%です」
そういうとジョージはマイクをおいた。突然がん宣告をされたような気分
になったが、よく考えるまでもなくそれを言ったのは自分で、とすると、
彼は自分自身にがん宣告をしたようなものだなと思った。
がん宣告と違うのは、人類全体に対してまとめてという点である。
それはもちろん不幸ではあるが、唯一がんと違ってなんで俺だけがとは思わ
ずにすむ点だけはまだマシなのかもしれない。
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そもそものきっかけは、中国軍内のミスによって、台湾侵攻が行われようと
したことである。あってはならないことであったが、連絡ミスにより日米台
軍事演習が実戦であると誤解されて伝えられたのだ。
危うく紛争になりかかった、が紛争にはいたらなかった。
これが公文書に記載されている「事実」である。
しかしながら真実は…不幸なことにそこにいた合同軍事演習を行っていた
石原たちは巻き込まれてしまい、さらに散発的な交戦すらあったのだが、各国
政府はこのことを「なかったこと」にしてしまったのだ。
何故か。
中国は伝達ミスで侵攻が始まってしまったこと、おまけに何故か部隊
まるごと水浸しになってしまった事実を隠したかった。台湾としては本来なら
批判どころじゃすまない立場なのだが、各国への配慮と、国民を不安にさせ
たくないという思惑もあった。アメリカも中国と全面紛争は避けたかったし、
日本にいたってはそもそも「交戦した」事実を隠したかったためである。
また、軍事演習の視察に来ていた韓国軍士官たちはその場にいなかったこと
にしたかった。
こんな各国の思惑と、幸運にも死傷者も出なかったことなどもあり、各国は
あくまで「合同軍事訓練の一環」だとかなり無理のあるしらをきり通して
しまい、結局この一連の紛争には一応のピリオドが打たれた。各国の週刊誌や
新聞には疑惑も出ていたが、死傷者がいなかったことも幸いしたのだろうか、
疑惑の核心には至らなかったようではある。
であるがその場にいた石原にしたら「交戦した」という事実は消しようが
ないのだ。幸いにも人殺しにはならずにすんだが、下手したら人殺しよばわり
されて市民団体から何言われるかわからない。生卵くらいぶつけられる程度
ならいいが、下手すりゃ殺されかねない気がする。そんなことはないはず
なんだが何故かそんな気がする。
別にあんなことしなくても誰も死ななかったかもしれない。もっともやった
おかげかどうかはともかく、事実としては誰も死んでないけなのだけど。そこ
だけは救いではあるが、その後の国内の部隊内での批判はかなりのストレス
だった。
彼が自衛隊をやめたのはそんな理由である。
なぜだかわからないが、とにかく石原はそんな一連の出来事を思い出して
しまったのだった。窓の外には星のまったく見えない、ネオンの明るすぎる
東京の夜景が流れてゆく。
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突然、妙な声を上げたのは赤い髪の若者だった。
「あ…あいつ、なんで普通に電車乗ってるんだ?」
「あつしぃ、いきなり何言ってるんだお前?」
唇にピアスをつけた若者が、だるそうにあつしという名の赤い髪の若者の
ほうを向きながらぼやくようにいう。
「達也さん、あいつっすよ。昼間俺らに暴力を振るってきた暴力ヲタク」
金髪の若者が唇ピアスの若者を横目で見ながら、石原を指差す。
「あいつが?お前ら弱すぎ」
唇ピアスの若者は半笑いになる。
無理もない。どうみてもヲタクですって風体の石原が若者二人をボコに
した、なんていったらそれは石原が強いのではなく若者二人の方が弱いんじゃ
ないかと勘ぐられるというものだ。
そうはいってもやられたほうとしちゃたまったもんじゃない。
気がついたらあっという間に転がされていた上に「事故だ」などといわれて
いい気になる人はまずいないだろう。
「でもあいつバカつよいっすよ。おまけに不意打ちしてきたし」
「そうそう。あいつ卑怯。マッポに突き出したのに何で出てきたんだよ」
金髪と赤髪の若者は怪訝そうに石原を見る。
「おまえら情けねぇなぁ」
ちょっと…いやかなり恰幅のいい男が、二人を見ながらぼやく。
「あんな奴調子づかせてんじゃねぇぞ!手足へし折って埋めとけよ」
「えええぇぇぇ」
唇ピアスの若者はかなり引き気味な顔をする。
「でも小林さん…それやりすぎじゃ…」
「あんなキモヲタ調子付かせてどうすんだよ。お前らどこまで情けねぇんだ。
ちょっとしばきゃあ泣き言言い出すだろあんな奴」
「…そりゃ小林さんにしばかれて泣き言言わない奴いないっすよ」
「元力士だしなぁ…」
3人は小林に聞こえるか聞こえないかの小声でそうぼやく。
「じゃあ善は急げだ、早速あいつしばきに行くぞ」
「何が善なんだか…」
「ってあ?あいつ逃げた?」
ふと見ると石原は車両を移動しようとしている。
「なにしてる、行くぞ!」
巨漢の小林を筆頭に4人は石原を追い始めた。
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最悪だ、いや最悪以下だと石原は思った。
ありえない確率である。
昼間ヲタク狩りに会いそうになった相手とまた会うなんて…正直俺は
なんかの神に嫌われてるんじゃないかと少し思う。
車両を移動していると後ろからなんか近づいてくるのが見えた。
「気づかれた?」
そういうと石原はかなり早足で次の車両を目指した。
夜の金曜だから車両内に人はそれなりにいる。
追われる石原にとっても追う4人にとっても、かなり不都合である。特に
巨漢の小林としてはかなり厳しいものがある。
「ったく何でこんなに人がいるんだよ」
「金曜っすからねぇ」
「ふざけんな」
「マテや畜生」
4人は口々に罵りながら、石原を追い続ける。周囲の目はかなり冷たいもの
であったが、4人にはまったくそれが映っていなかった。
一方の石原、こちらは周囲の目が気になっていた。
まぁ普通の感覚ではある。とはいうもののなりふり構ってはいられない。
当たり前だ。うしろから100kgを優に超えそうな元力士が追いかけてきて
なりふり構っていられるほど余裕な人間はいるものだろうか。
「すいません」
「失礼します」
こんなことをいいながら、周囲の目を気にしながら石原は前進していく。
減速する車両。
「まもなく、カーブのためゆれにご注意ください」
急にかなり揺れた。あちこちで小さな悲鳴が聞こえる。
電車がホームに入っていく。
「まもなくー、柏ー、柏に到着いたしますー」
チャンスだ、と石原は思った。
到着と同時にホームに降りて別の車両に移れば、何とか逃げ切れるはずだ。
電車がホームに到着し、人がおり始める。
脱兎のごとく石原は駆け出した。
「あ、あいつ降りやがった」
「マテやこの野郎!!」
同時に小林たちも降り、石原を全速力で追いかけ始める。
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世界が喧騒に包まれていたのだが、ようやく日本のマスコミにも外電が
届き始め、NASAの説明が少しずつ入り始めた。
当然、10時台のニュースにはこのニュースが入り始め、普段いくら偏向だの
なんだのといわれているマスコミもさすがに伝えざるを得ない情報である
のだから、ニュースの扱い方は各局まちまちではあったが、それぞれの局で
テロップを流すなど対応を始めていた。
そんな中一瞬だけテロップを流した後普通の放送を継続している局があった。
これまでも災害時などに通常放送を行うことで知られているテレビ帝京だ。
テレビ帝京は他の局に比べて資金力などが少なく、緊急特番を組む体力が
ないという側面もあるのだが、災害という非常時であっても通常の放送を
行うことで心を落ち着けてもらうという面も持っている。
そもそも少なくとも現時点では、「人類滅亡」は確定事項でもなんでもない。
ゆえにテレビ帝京は通常放送を行っていたのだ。
…しかしこの2日後、各局が緊急特番を組む中、ついにテレビ帝京も緊急特番を
2時間だけ流し、某所で人類滅亡の危機の高さはかなりのものであるといわれる
事となるのだった。
実際問題、普段から多少のことで騒がないこの局が騒ぐという事態は、この問題が
相当大きな問題であることを匂わせるものだった。
人類滅亡は確定事項とは言わないまでも、決して可能性が低いとはいえない。
2012年、各局が特番を流し、最後のときを迎えようとするとき、テレビ帝京は
通常放送を流し続け…そして視聴率競争にと人類の生き残りに勝つこととなる。
さらにいうと、人類滅亡も回避されたときには某所ではテレビ帝京のおかげという
説まで流れることとなるのだった。
彼らは…真に伝説となる。
だが、それはもう少し後の話である。